おばあちゃんのトマト
「ガタン、ガタン。」電車にゆられながら、わたしは、大きな荷物をまくらにしてねむろうとしている。なんてったって、これから毎日畑ではたらくんだもの。
終業式がおわるとすぐに、わたしは三時間かけていなかのおばあちゃんのうちに行った。おばあちゃんは、わたしのお父さんのお母さん。はじめてのひとり旅でワクワク、ドキドキしている。
おばあちゃんのうちは、ふんわり木のかおりがした。夕食を食べながらおばあちゃんは「ここらには、たくさんわらしがいるべよ。明日でも、あそんでおいで。」と、言ってくれた。
朝おきると、もう、おばあちゃんは畑で水やりをしていた。空はからりと晴れていて、さわやかな風がふいていた。
わたしは、朝食をすますと畑に行った。
おばあちゃんと草とりをしていると、なんだかいつもよりも仕事がすすむ。あせまみれになりながらも、一所けんめいに「けむし歩き」をつづけた。あっというまに草はなくなった。手をあらったときの水のつめたさが、とても気持ちよかった。
「まきー。ちょっと来て。」
と、おばあちゃんのよぶ声がしたので行ってみると、今日とろうとしていたまっ赤なトマトに、くっきり歯がたがついていた。
「しょっちゅうなんだよねえ……。」
おばあちゃんはつぶやき、ふしぎそうに首をひねった。
昼食は、とれたてのまっ赤なトマトも出ていた。皮がやわらかくて、とてもおいしかった。あとかたづけをして、ゴロゴロしていると、子どもがさわいでいる声がしたような気がして、外に目をやった。
畑に子どもが五、六人ぐらいいた。とっさにわたしは、
「なにしてんの。そこで。」と、さけんでしまった。そのしゅんかん、さっと子どもたちはにげていった。わたしは、あっけにとられて、おいかけるのを忘れてしまった。夕食のときに、おばあちゃんに子どもたちのことを話すと、
「その子たちかしらねえ……。」と、言った。
わたしは、夜おそくになっても、ねむれなかった。だれがトマトをかじったのか、気になってしかたがなかったからだ。とうとう、夏休み最後の日になってしまった。へやで荷物をまとめていると、
「ガラガラ」と玄関の開く音がした。
おばあちゃんが来たと思って見にいった。すると、なんとまあ。あの子たちだ。
畑にいた子どもたちが、どの子もじいっと下をむいたまま立っていた。わたしはいそいで畑に入り、まっ赤にうれた大きなトマトをもぎって、その小さな手にのせてやった。わたしを見つめるその目は、とてもきらきらしていた。
秋のおわりごろ。ゆうびんうけに
「コトリ」とおてがみが来た。うらにはタヌキとあった。わたしは、
「クスッ。」と笑って、ふうを切った。とたんに「パラパラ」っと小さなつぶが落ちた。トマトのたねだった。紙にみみずみたいな字で
「ありがとう」と書いてあった。
いま、あの夏から一年たった。変わったことは、毎日トマトが食べられるということ。そう。あのトマトのたねが、まっ赤な実をつけたのだ。太陽にてらされて、キラキラ光っているすがたは、あの子たちの目のかがやきのようだった。