この記事は日本の様々な昔話や童話を紹介するものです。これらの物語は、それぞれの土地やその人々の個性豊かな伝統や文化を練り込んだお話です。日本人は、これらのお話を読むことで、想像力や知恵を膨らませてきました。読者は、物語を読むことで、自分がその世界に引き込まれて色々な感情を感じることができ、教訓も得ることができます。
これらの物語は様々な人々によって書かれており、年齢問わず、誰でも楽しむことができます。
貧乏長者
むかしむかし、ある村に、一人の貧乏な漁師のおじいさんが住んでいました。
おじいさんには子どもが大勢いたので、働いても働いても貧乏でした。
この村には、とても大金持ちの長者も住んでいました。
ある日、長者がおじいさんを呼んでごちそうをしました。
長者はおじいさんを見ながら、うらやましそうに言います。
「わしも、じいさまの幸せにあやかりたいもんだ」
それを聞いたおじいさんは、首をかしげて
「おや?貧乏なわしなんかよりも、お金持ちに長者さまこそ、幸せではありませんか?」と、いうと、長者は、
「いやいや、じいさまこそ、村一番の幸せ者だ。何しろじいさまは、人間にとって一番目の宝である健康と、二番目の宝である子宝が大勢いるんだからな。じゃが、わしは三番目の宝である、お金しかないじゃ。比べると、やっぱり村一番の宝持ちはじいさまだよ」
「なるほど、そいつはうれしいな」
おじいさんは大喜びで家に帰ると、おばあさんにその事を話しました。
そしておじいさんとおばあさんはさっそく、一番目の宝と二番目の宝のお礼をするために、お宮参りに出かけました。
さて次の日、海に出かけたおじいさんの舟は大漁でした。
おまけに海辺でひろったたき木をわったら、なんと中から大判小判がざくざくと出てきたではありませんか。
ですが、おじいさんとおばあさんは、
「わしらは、一番目の宝と二番目の宝のある幸せ者じゃ。この上、三番目の宝まで手に入れたら、バチが当たってしまうわい」と、とれた魚を村人たちにごちそうして、おみやげに大判小判を一人一人に手渡したのです。
この時からおじいさんとおばあさんは、貧乏長者と呼ばれるようになったという事です。